2007/02/19(月)物事を理解する法

今日はちょっと古い記事のサルベージです。

理解と暗記の違い

受験とかの試験社会(記憶力主義)の弊害なんだけども、理解することと丸暗記することを区別できていない、その違いがわからない人がとても多い。受験の点数だけを考えれば、概念を理解するよりも記憶力さえある程度長けていれば意味も理解せずに暗記してしまった方が楽だし何より効率がいい。でもそれは社会(や大学以上)では通用しないどころか、理解の本質を知らないことで損をすることだらけだったりします。

いわゆる「使えない奴」ということです。

使える使えないというのは、現実の問題に対して解決策を持てるかどうか、自分で考えることができるかどうかというものに大きく依存します。理解することの大切さは、やはり本人が自覚しないとどうしょうもないのですが、それが自覚できたとして、どの点に心がけたら理解できるのかというポイントを挙げてみます。

理解したという状態を知ること

そもそも理解したという状況はどういう状況を指すのでしょうか? 一言でいえば「他人に説明できる状態」が理解した状態です。質問されたとしても「曖昧に」「なんとなく」としか答えられない状況は(厳密には)理解したとはいえません。ひとつの物事を取り出せば、半分理解したということもあり得ず、「理解している」か「理解していない」かは完全に2分されます。

例えば「4×3はどうして12になるの?」と聞かれたとき、「4つのものが3つあるから12個になる」といった説明ができれば理解している状況です。しかし「4×-3はどうして-12になるの?」と聞かれたとき、「片方がマイナスのかけ算だから答えはマイナス」といった説明では、理解しているとは言えません。それは(計算法則の)事実として正しいのですが、マイナスという概念を理解してはいないからです。*1

他に例えば「インターネットはどうしてつながるの?」とか、「どうして太陽は東から登るの?」とか、「どうして酸素がないと生きていけないの?」とか、まあともかく、ある事柄に付いてのこの種の質問に答えれれるようになったとき、それを初めて理解したと言います。抽象的な感覚になってしまいますが、答えるときの気分としては心の中で浮かんでいるイメージを言葉としてもどかしいながら繋いで行くという感じになります。「何かで読んだな……たしか……」というのとは大きく違います。

*1 : 数学的厳密性を別としても、この概念を正確にとらえている人は限られますが、深入りはしません

理解するために必要なこと

これは言葉では実に簡単です。「調べる」だけです。とは言っても「太陽はなぜ東から登るのか」→「地球が北から見たとき左回転しているから」という記述を見付けたとして、「ああそうなんだ」で終わらせてはいけません。なぜ「地球が左回転していると太陽が東から登るのか」がわからなければ理解したことにはなりませんし、どうして「北から見たとき」という限定が付くのか、その意味もちゃんと知らなければなりません。

理解ということは、そのような自問自答の繰り返しです。新たに生まれた疑問点を、紙に書いて考えてみたり、再び調べてみたり、考えてもわからなかったら人に聞いてみたりします*2。そうやってすき間無く「分かった」と思うまで「調べたり」「考えたり」という行為をやめてはいけないのです。なれないうちは辛いですし、説明には、例えば「左回転しているので太陽が東から登る」と当り前のように書かれている内容を理解するのに、数日とか1週間とかかかってしまうこともありますが、慣れないうちはむしろそれぐらい時間がかかる方が普通です。人によっては、生涯一度もこのような訓練をしたことがないのですから、時間がかかっても別に落ち込む必要なんてこれっぽちもありません。

もちろん全部が全部そんなことをしていたら、到底身が身が持ちません。ですが、きちんと身に着けたいこと、身に着けなければならないこと、人に説明しなければならないこと、文章にまとめなければならないこと(レポートなど)は、やはり理解する必要があると思います。どうしても時間に迫られているというときでも、基本的には急がば回れです。

ただ、いきなり物事を理解するというのは大変なので、先に十分になれてしまうという方法も有効です。例えば「負数のかけ算」などは、本質を理解することも大切ですが、それよりも前に計算自体に十分に慣れてから本質の立ち返って考えてみる、どういう意味をもつのだろうと自分なりに当てはめてみるというのは、大変有効な手段です。

*2 : たまに勘違いしている人がいますが、自分でろくに調べも考えもせずに人に訊くのはタブーです。そのようなことをしても全く身につかないどころか、説明してくれた内容もすぐに忘れてしまいます。人に訊くときは、例えば「北から見たとき左回転ならば、たしかに(これこれこうで)東から登るのはわかったのだけど、なんで北じゃないといけないのか分からない」といった風に質問します。また「これから○○について勉強したいと思うのですが、どういう道筋で学んだらいいと思いますか?」とアドバイスを求めるのも大変良いと思います。

理解すると何が徳か?

自分の頭の中に、対象の物事の概念ができあがります。このことの効果は計り知れないものがあります。例えばプログラムならば、今まで上手く書けなかったものがすらすら書けるようになりますし、言語が変わってもさほど苦労しなくなります。例えば営業の人ならば、いわゆる営業のテクニックなどの本質を理解することで、その効果を発揮することができます。逆に言えば、理解しなければいくら「○○テクニック」とかを覚えても全く役に立ちません。TVでやるような人づきあいなどのテクニックも同じです。

他にも、色々な資料にかかれた記述やネットの無数の情報のうち、どれが本当で、どれが間違っているかなどを見極める力も付きます。鵜呑みにせず自分で考えるということは、そういう能力を養う練習になっているのです。

簡単に言えば、応用力や情報の判断力、いわゆる考える力が身につきます。はっきり言って、社会でこれほど役に立つものはありません。